創建など

 創建は史料が残っていないため、正式な年代は不明であるが、過去帳には、「明治十六年の開山調べで、寛文元年(一六六一)八月六日に遷化された宥久師を開山とすると庁長に報告する」との記載があることから、一六五〇年頃(十七世紀半ば頃)の創建と推測される。赤城神社の史料によると、十七世紀初頭までさかのぼることもできる。

 また、当山は、流山セントラルパーク駅のそばにかつて存在した長福寺の末寺であった。長福寺にあった菩薩像座像(現在は光明院へ安置)、愛染明王像はともに流山市指定文化財となっており、その規模はかなり大きかったと推測される。長福寺は明治時代以降住職がいない時期が続き、現在は墓地と愛染堂のみが残っている。本尊不動明王は同じ敷地の内の地元自治会館に併設の旧長福寺の建物へ安置されている。光明院の山門は大正時代に長福寺より移設したものである。

タイトルとURLをコピーしました